開発
Microsoftが「Magnetar」を発表——量子耐性を持つゼロ知識証明VMで実行速度を最大39倍に
2026/10/16
実行結果を「再実行なし」で証明する新しい計算パラダイム
Microsoft Researchは、ゼロ知識仮想マシン(zkVM)「Magnetar」を発表した。ゼロ知識証明(ZKP)は、計算結果を再実行することなく、またセンシティブなデータを開示することなく、プログラムが正しく動作したことを暗号学的に証明できる技術だ。同ブログによれば、Magnetarはこの技術を汎用プログラミング向けに実用化する上で長年の障壁となってきた3つの課題——効率性・汎用性・セキュリティ——を同時に大きく前進させたと報告されている。
ゼロ知識証明の3つの障壁
ゼロ知識証明は1980年代に発明された技術だが、汎用ツールとして普及するには以下の課題があったとMicrosoftは説明している。
第一の障壁:効率性。証明の生成には歴史的にプログラム実行の数百万倍の計算コストがかかってきた。研究の進展でそのオーバーヘッドは削減されてきたが、最速のシステムは速度を得るために他の面で妥協を強いられてきた。
第二の障壁:汎用性と使いやすさ。多くの証明システムでは開発者がプログラムを暗号回路として手作業で書き直す必要があり、数カ月を要する。この変換作業自体がセキュリティバグの原因にもなってきた。一方、汎用プロセッサの実行を証明するアプローチは速度やセキュリティの面でコストが高かったという。
第三の障壁:セキュリティ。多くの証明システムは楕円曲線暗号に依存しており、十分な能力を持つ量子コンピュータによって破られる可能性がある。Microsoftはポスト量子暗号への移行を2029年までに加速させる方針を発表済みだが、既存のポスト量子証明システムには長年の検証を経ていない新しい暗号関数に依存するものも多く、強い仮定に速度を頼ってきたと指摘されている。
10年超の研究の集大成
Magnetarは一朝一夕で生まれたわけではない。Microsoft Researchは10年以上にわたり、ゼロ知識証明を実用化するための一連の研究を積み重ねてきた。ブログが挙げる主な成果は以下の通りだ。
- Spartan(2019年):信頼できるセットアップなしで汎用プログラムに対応するゼロ知識証明システム
- Phalanx(2021年):プロセッサが命令サイクルを繰り返す性質を利用し、計算証明を1桁高速化
- Nova / HyperNova / NeutronNova / Neo・SuperNova:Spartanの部分的な証明を「折りたたむ」手法で、任意サイズの計算を低コストで証明可能に
- Brakedown(2021年):標準ハッシュ関数のみに依存する高速コミットメントスキームをSpartanと組み合わせた最初の構成
- Lasso / Jolt:汎用プロセッサの中核であるメモリ操作を安価に証明可能にし、完全なプロセッサ実行の効率的な証明を実現
- Vega(2025年):政府発行の認証情報から事実を0.1秒以内に証明するデジタルアイデンティティ向け応用
- BinarySpartan:SpartanをバイナリフィールドへE拡張し、プロセッサロジックと標準ハッシュ関数を効率的に表現可能にした最新成果
Magnetarはこれらすべての成果を統合したシステムだとMicrosoftは説明している。
Magnetarの3つの特長
汎用性:Rust・Go・Cがそのまま動く
MagnetarはRISC-V(成熟したコンパイラが揃うオープンなプロセッサアーキテクチャ)の実行を証明する。開発者はRust・Go・Cなどの標準的な言語でプログラムを書き、通常通りコンパイルするだけでよい。ビジネスロジック、データパイプライン、Ethereum Virtual Machine(EVM)のインタープリタといったものも「単なるプログラム」として証明でき、暗号の専門知識がなくても利用できると報告されている。
速度:ラップトップ上で秒間720万〜870万命令を証明
ブログによれば、Magnetarはラップトップ上で毎秒720万〜870万プロセッサ命令を証明する。暗号ハッシュからEVMインタープリタ内のトークン転送まで15種のベンチマークプログラムで、同クラスの既存zkVMと比較して平均10〜39倍高速と報告されている。トークン転送ベンチマークでは一部のシステムに対して300倍以上の差が出たという。最適化版では毎秒950万〜1280万サイクルを証明し、各速度倍率がさらに約1.3倍向上するとしている。証明の検証にかかる時間は約12ミリ秒と報告されている。
セキュリティ:標準ハッシュ関数のみに依存
MagnetarのセキュリティはSHA-256やSHA-3などの標準ハッシュ関数のみに基づくと説明されている。これにより、楕円曲線暗号への依存をなくし量子コンピュータによる攻撃に対する耐性を確保するとともに、長期間にわたる信頼性も担保できるとMicrosoftは主張している。新しい暗号関数や未証明の数学的予想に依存する他のポスト量子証明システムとは一線を画す設計だという。
想定されるユースケース
ブログでは、Magnetarの実用例としていくつかのシナリオが示されている。たとえば、誰かの代わりに行動するAIエージェントが「各アクションが与えられたポリシーに準拠していた」ことを証明書として添付できる。あるいは規制対象の金融機関がトランザクションを公開せずに「正しく処理されたこと」を証明できる、といった活用が考えられるという。
Microsoft Researchは「証明の生成がプログラムの実行と同じくらい当たり前になれば、こうしたユースケースが現実になる」と述べており、Magnetarはその実現に向けた重要な一歩と位置づけられている。